【 EPISODE 1 】
『ロシア人の優しさに触れて』
北海道からサハリンを経由し、ロシア本土に上陸した初日の出来事。広大なシベリアに感動した私は、バイクを停め写真撮影に熱中していました。撮影終了後、カメラを入れたバックをサイドバック上(写真○)に置いたまま勢い良く走り出しました。固定されていないバックは、当然ですが落下してしまいます。何も気付かぬ私は、数十キロ走行した後、カメラを入れたバックがないことに気付き引き返しました。案の定、撮影した道端にはバックはありません。諦めきれず、何度も往復して探しましたがやはり見つからず…。後悔と情けない気持ちとでいっぱいになりました。もう一度書きますが、これはロシア本土に渡って一日目の出来事です…。解決策もなく諦めて再出発。650キロ先の大都市『ハバフスク』を目指しました。到着後、滞在先でバイク乗りのロシア人達と仲良くなりカメラを入れたバックを落としたことを話しました。カメラを無くして3日後、奇跡が起こります。なんと、バイカー仲間のネットワークを使って私のバックを見つけ出してくれたのです。しかも650キロ離れたハバロフスクまで届けてくれました。
【 EPISODE 2 】
『イタリアの村で一泊』
イタリアのアウッラという小さな町で宿を探しましたが、手頃な宿は満室。宿はあきらめて、キャンプを覚悟していました。町を一周してキャンプできそうな場所をいくつか見つけてからWIFIを求めてカフェに。そこで、出逢ったマテオという男。『良かったら泊まりに来な』と言ってくれたので、お世話になることに。マテオの家は小さな村にあり、なんと人口たった15人。イタリアの 田舎・秘境の生活が体験できて大満足できました。
【 EPISODE 3 】
『ロシアの兄貴アルチョムとの出会い』
ロシアとカザフスタンの国境の町に到着したのは10月16日でした。そこで衝撃的な出会いがありました。その日、私はいつものように道に迷いました。ナビも地図もスマホも持っていない私は、いつものように地元の人に道を尋ね回っていました。そんな時、現れたのがバイクに乗ったアルチョム(写真右)でした。交差点の反対側で信号待ちをしていたので、 『カザフスタンはどっちだ?』と尋ねました。すると、『こっ
ちだ』 と言わんばかりに手を回してついて来いのジェスチャー!!ちなみにアルチョムは英語が全く通じません。ロシア語ゴリ押しです。道に迷って必死だった私は、アルチョムを信じてひたすら彼を追いかけました。途中で彼は『飯食っていくか?』 のジェスチャー!!腹が減っていた私は、首を大きくタテに振りました。するとアルチョ ムは自宅に招待してくれ、奥さんが帰宅後、夕食をご馳走してくれました。メニューはボルシチ。ロシアのリアルな家庭料理を味わうことが出来て体も温まりました。食後は近所の友達も合流し、ビールとウォッカでパーティーです。
【 EPISODE 4 】
『旧ユーゴにて』
ボスニアヘルツェゴビナの小さな村ポチテリに滞在しました。綺麗な川沿いにある小さな村で、オスマントルコ時代の城が残っています。そこで出会った一人の青年。彼は船乗りで、英語が堪能です。そして、色々な話をしながら城の内部を案内してくれました。話の内容は内戦、経済、旧ユーゴスラヴィアとの違いなど。彼が8歳の時この辺一帯は内戦だったようです。内戦が終結してからも、仕事がなく困っている若者が多いとか。彼はクロアチアの船会社で働いているので生活は安定しているようでした。この国では大学を卒業しても肉体労働の仕事しかなく、給料もかなり安いとか。旧ユーゴスラヴィアを知る年配の人は昔の生活の方が良かったと言っているみたいです。村のカフェに行くと、小さな村なのでみんなが知り合い。いとこや兄弟も続々と集まってきて、楽しい時間を過ごしました。日本の割り箸をプレゼントすると興味津々。とても喜んでくれました。
ここでご紹介しきれない程、たくさんの思い出・エピソードがありました。
私のオフィシャルブログにて、これまでの旅の軌跡を追うことができますので、是非ご覧ください。